京都弁証法認識論研究会

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大学新入生への訴え ―学問の構築へ、大志・誇り・情熱を!―

 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。

 いうまでもなく、大学は学問の府です。みなさんは、大学での学問に大きな憧れ・期待を抱いているものと思います。

 そもそも学問は何のためにあるものでしょうか?

 人類の歴史上、学問の起源は古代ギリシアにあります。古代ギリシアの学問といえば、純粋に知を愛する、学問のための学問であったかのように言われることがありますが、本当はそうではありません。治山・治水をどうするか、戦争にいかに勝つか、といったポリス社会の維持・発展にかかわる切実な問題を解決するためにこそ、学問が生成し発展していったのです。学問は、究極的には、人類が直面する諸問題を解決し、よりよい未来をつくるためにこそはじまったのです。

 これは、現在でも変わりはありません。端的にいえば、学問は社会の役に立つものでなければならないのです。社会の役に立つ学問をつくることこそ、学問の府としての大学の歴史的・社会的な使命であり、そこに学ぶみなさんの歴史的・社会的な使命なのです。

 もちろん、「社会の役に立つ」とは、決して特定の企業の儲けにつながる、といった小さな意味ではありません。大きな目で見て人類がよりよい未来を切り開いていく力になるかどうか、なのです。みなさんがいかなる専門にすすむ場合でも、「この研究が社会にどう役立つのか、人類のよりよい未来にどうつながるのか」という問いかけを持ち続けてほしいと思います。

 では、そもそも学問とはどういうものでしょうか?

 わたしたちが何らかの問題を解決しようとするときに絶対に欠かせないのは、その問題となる対象の構造をしっかりと把握することです。問題となる対象の構造とは、大きくいえば、この現実の世界(それは大きく、自然・社会・精神の3つに分けることができます)が持っている構造のことにほかなりません。わたしたちがこの世界の諸々の問題を的確に解決していくためには、この世界の構造についてのイメージをしっかりとアタマの中につくっておくことが必要なのです。

 いうまでもなく、この世界は、歴史的・体系的に発展してきたものです。端的にいえば、この世界の歴史的・体系的な構造についてのイメージを構築することこそが、学問を構築することにほかなりません。厳密にいえば、「学問というものは、自然・社会・精神として存在している現実の世界の歴史性、体系性を観念的な実体の論理性として構築し、その内実の歴史的構造性を理論レベルで体系化することである」(南郷継正)のです。

 では、このような観点からみて、現在の大学における学問はいかなる状況にあるのでしょうか?

 残念ながら、現在の大学における研究は極端に細分化しており、みずからの使命を忘れて、狭い領域において細かい事実を集めることだけに熱中しているものといわざるをえません。

 しかし、学問の起源をたずねればわかるように、学問は世界全体をまるごと捉えようというところからはじまったのです。学問を志す者はこの原点を忘れてはなりません。この世界のどんな小さな部分も世界全体の一部なのであり、全体とのつながりにおいて存在しています。全体の姿をきちんと踏まえることなしに、部分を正しく究明することなどできないのです。

 たとえば、失業の問題をきちんと解くためには、たんなる失業の問題として解くのではなく、経済の全体の中での失業の問題として解く必要があることはもちろん、経済の問題もたんに経済の問題としてではなく、大きく社会の中の経済の問題として、さらにいえば、社会の問題は自然の中の社会の問題として、解いていく必要があるのです。そうしなければ、人類のよりよい未来を切り開くような解決はできないのです。

 では、単なる事実の集積ではない、真の学問を構築していく道はどこにあるのでしょうか?

 その一つが「京都弁証法認識論研究会」であるという強烈な自負をわたしたちは持っています。わたしたちは、世界全体をまるごと捉える視点をしっかりとふまえつつ、経済学や教育学などの個別科学を体系化しようと志している学生、大学院生、社会人の集団です。

 わたしたちがあらゆる学問の基礎として重視している学びが、弁証法(およびその基礎としての一般教養)と認識論です。

 弁証法とは何でしょうか?

 ひとことでいえば、学問をつくる実力をつけるための方法です。

 弁証法は、古代ギリシアにおいて、現実の自然や社会の問題を解決していくために問答によって現実の自然や社会の構造に迫っていく方法としてはじまりました。この弁証法は、カント、ヘーゲルを経て、現実の世界の運動法則そのものについて研究する学問にまで深められ、エンゲルスによって科学として定式化されたのです。現実の世界の諸々の事物・事象は、互いに複雑に絡み合いながら絶えず運動・変化していますが、弁証法を学ぶことによって、この変化・運動には一定の法則性があることがつかめるようになり、諸々の問題を的確に解決する実力をつけていくことが可能になっ
ていくのです。

 では、認識論とは何でしょうか?

 ひとことでいえば、人間のアタマとココロのはたらきについて解明する学問です。

 社会科学、精神科学においては、その研究対象に人間の認識が絡んでくる以上、この認識論が必須であることはいうまでもないでしょう。さらにいえば、自然を含めて、いかなるものを対象にしようとも、その対象の歴史性・構造性を把握するのは自分の認識なのです。学問とは認識であり、学問を構築するのは認識のはたらき(自分のアタマのはたらき)なのです。どうすれば自分のアタマのはたらきがよくなるのか、学問を構築できるだけの見事なアタマのはたらきをつくるにはどうすればよいのか。これは実践的な認識論の課題にほかならないのです。

 学問とは細かい事実を集めることではありません。この世界全体の像を自分のアタマの中に体系的に描くことこそが学問なのです。みなさんには、学問を構築するという大きな志を持つとともに、そういう学問の構築を志していること自体を誇り、大いなる情熱をもって、学問への道を歩んでいってもらいたいと思います。関心をもたれた方は、ぜひ私たちの研究会を一度のぞいてみてください。 

  

研究会の活動

 ・例会(1ヶ月に1回)

   <第1部>

      主に弁証法や認識論に関わる文献を取り上げて、その内容に関する問答を行います。

   <第2部>

      日本が誇る一流の酒を味わい、豊かな感性を磨きます。

 

 ・合宿形式の研究会(1年に4回、春夏秋冬それぞれ1回ずつ)

    基礎・基本の再確認や各人の成果発表などを行います。 

    春と秋は関西で、夏と冬は東方へ赴きます。

 

 ・各専門部会における研究会

    詳細は各専門部会のページをご覧下さい。

 

これまでに扱った文献

  • 滝村隆一『(新版)革命とコンミューン』(イザラ書房)
  • 滝村隆一『(増補)マルクス主義国家論』(三一書房)
  • ディーツゲン『人間の頭脳活動の本質』(岩波文庫)
  • 三浦つとむ『マルクス主義と情報化社会』(勁草書房)
  • 本田克也加藤幸信浅野昌充神庭純子『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳新書)
  • 本田克也・浅野昌充・神庭順子『統計学という名の魔法の杖』(現代社白鳳新書)
  • 三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)
  • 三浦つとむ『認識と言語の理論』第一部(勁草書房)
  • 南郷継正『武道哲学 著作・講義全集』第二巻(現代社)

        過去の例会の詳細な記録は「研究会の記録」をご覧ください。

   

 

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